そもそも戦争は『詭道』をベースとしており、奇策により大勝利を得るものです。正々堂々と武士道に頼っては外国との戦争に必ず負けます。中国古来の戦争には4つの特長があります。
1−自国が弱ければ強く見せかけて敵を狐疑逡巡させ、自国が強ければ弱く見せかけて逃げる。
春秋時代の孫?が馬陵峡谷で?涓を壊滅させた例と、全く同じ状況で、板垣中将の軍が林彪の軍に壊滅させられたと聞きます。日本軍が孫子の兵法を知らなかったのではなく、『驕り』からくる敗戦です。中国はわざと負けて敵を奢らせ、油断させて襲いかかると言う手口を用います。
2−敵を内部分裂や腐敗を図って力を弱め(離間の計、革命、傾城)、合従連衡により自国に有利な状況を作りだす。
日清・日露戦争で勝利を収めたのは、西太后の政治腐敗浪費、ロシア革命と、英米の助けがあったからです。
3−逃げて、敵を奥地に引っ張り込み、補給を断ち、兵を疲弊させて勝負に出る。
30数年前、技術交流会で、青島から人っ子一人居ない土漠の中を5時間かけて寒村に行った事があります。
翌日、市場がたつと言うので1000人くらい集まるかなと思ってたら、何と3万人の群衆。地面から人が湧き出てきた
ような感じです。私は『日本は何でこういうドデカイ国に攻め込んだのだ。近代兵器で蹴散らす事は出来ても征服す
ることなんて出来やしない。何て大馬鹿なことをしたんだ』と慨嘆したものです。大国は古来からの知恵で、逃げ込
み、引きづり込み、補給路を断って、人海戦術で攻めるという戦いの仕方をします。第2次大戦時の日本軍は、巨
大国土に於ける物流・補給の考えを持たず、どんどん入って行ってしまったのです。
4−敵状(軍隊、兵站、地形気象、母国の状況、要人の人脈)把握に努め、情報戦に長け、自然の力等あらゆるものを駆使して
勝ちを収める。
八甲田山雪中行軍で、殆どが死んだ歩兵第5連隊と、全員生還した歩兵第31連隊の判断と行動の違いは、誰もが知ってる事ですが、日本軍のカルチャーは、殆どが死んだ歩兵第5連隊と同じでした。
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