もはや恒例になった、東京交響楽団の演奏会の無料配信です。9月の川崎定期演奏会第82回に引き続いて、今回も聴かせていただくことにしました。
今回は名曲全集第170回ということですが、22日(金)に開催された東京オペラシティシリーズ第124回と同じプログラムです。
指揮は音楽監督のジョナサン・ノットですが、当初出演を予定していたソプラノのカタリーナ・コンラーディ、アルトのウィープケ・レームクール、テノールのマーティン・ミッタールッツナーは、新型コロナウイルス感染症に係る入国制限により、出演することができなくなり、代わってソプラノの三宅理恵、メゾソプラノの小泉詠子、テノールの櫻田亮が出演することになりました。
また、ノット氏の希望により、モーツァルトのレクイエムの「コンムニオ:ルクス・エテルナ」の前に、コーラスがリゲティ作曲「ルクス・エテルナ」を演奏するとのことでしたが、どういうことなのか楽しみでした。
ニコ響のサイトに接続しますと、ステージが映し出されていました。画面から見えるP席はまばらでしたが、一般席はそれなりに埋まっているようでした。
開演時間となり拍手の中に団員が入場。全員揃うまで起立して待つ新潟方式が、コロナの時代になって東京や川崎でも定着しました。最後にコンマスの小林さんが登場してチューニングとなりました。今日の次席は廣岡さんです。オケは14型で、ヴァイオリンが左右に分かれる対向配置です。
黒マスクを着けたノットさんが登場し、マスクを外して、デュティユーの交響曲第1番の演奏開始です。コントラバスのピチカートで始まり、怪しげな管楽器と弦の響きが続きました。その後はSFアクション映画のバックに流れていそうな音楽が続きました。
1951年の初演ですが、その後の映画音楽に影響を与えたのかもしれないなあなどと勝手に想像しながら聴いていました。銅鑼が鳴りおどろおどろしい音楽に始まる終楽章は、次々と形を変え、深遠な静けさの中に終わりました。
全4楽章からなる交響曲ですが、各楽章の雰囲気に違いはなく、私が勝手に抱く交響曲のイメージとは異なるものでした。暗い空気感が漂う音楽でしたが、映画音楽的テイストがあって聴きやすく楽しめました。
休憩後の後半はモーツァルトのレクイエムです。オケのサイズは小さくなり、8型の小編成。ステージの後方に2列の合唱団・独唱者席が設けられました。
拍手の中に合唱団、続いてオケ団員が入場してチューニング。その後ソリストの4人がオケ後方の合唱団席の中央に並び、ノットさんが登場して演奏開始です。
独唱者、合唱団員の一人一人に譜面台が用意されていました。合唱団は左にソプラノ8人、右にアルト8人、中央左にバス8人、中央右にテノールが8人。ソリストの並びは、左からソプラノ、バリトン、テノール、アルトと変則的です。オケ同様に、ソリストも合唱団も対向配置ということなのでしょうか。独奏者は自分の出番以外は合唱団のパートも歌っていました。
清廉さの中に明るさを感じるレクイエム。総勢32人の小編成の合唱団が透明感を生み、代役を務めた日本人ソリスト3人も良かったです。
V-6.ラクリモサはしんみりし過ぎず、レクイエムというより普通の合唱曲という印象。このラクリモサの後に、仏壇にあるような鐘が鳴って、W-1の主イエス・キリストよにつなぎました。
X.サンクトゥスを高らかに歌い上げ、Y.ベネディクトゥスでの独唱陣はお見事。合唱団の輪唱が美しかったです。
Z.アニュスデイの後に、再び鐘が鳴らされ、ソリストは着席して合唱団だけで今回の目玉のリゲティのルクス・エテルナが歌われました。未知との遭遇といいますか、宇宙空間にワープするような合唱の響き、異次元へトリップしたかのようでした。
そして終曲の[.コンムニオが何事もなかったかのごとく歌われ、現実の世界に引き戻され、終演となりました。あのリゲティは夢か、幻だったのか。あっけにとられてしまいました。
仏壇の鐘が鳴らされ、仏教的匂いも感じさせるリゲティの合唱曲を挟み込んだ意図はいかに。凡人の私にはとうてい理解できません。湧き上がるであろう賛否両論のリスクを冒して、このような試みをしたノットさんに、ひとまず拍手を贈りましょう。何だか良くわかりませんでしたが、リゲティの深遠な曲を聴けたのは良かったです。
ソリスト、そして合唱団の素晴らしさ。数を削って少数精鋭のオーケストラの素晴らしさ。なんだかんだで終わってみれば素晴らしいひとときでした。
団員が去った後も拍手が鳴り止まず、ノットさんがステージに登場してお開きになりました。私も接続を遮断してサイトから離れました。
音質も画質も最高。 日曜日の午後に、このような生配信をしてくれた東響に感謝したいと思います。
(客席:PC前、無料) |