竹下世界塔の幼き日のあやまち

最新 20040320
初版 20030118

ここでは塔主が幼かったころの失敗について、思い出しおもいだし書いていこう…

ラジオ

電子工作を始めたのは小学四年生の頃だった。『子供の科学』を見てラジオを作り、ケースを加工して電源スイッチを取り付けた。ケースに組み込む前に動作も確認している。さて、電池をいれて動かしてみる。…音が出ない。ケースから出すと音が出る。ケースは味の素の空き缶。そう、ラジオを鉄のケースの中に入れていたのだ。シールドね。

ペンキ

あれは夏の晴れた日。父にトタン屋根にペンキを塗れと言われて、暑い中屋根の上、ペンキを塗っていた。レンガ色の塗料。隅の方から塗っていった。細かそうな隅の部分を塗ってから一気に残りの平面を塗ろうと考えたのだ。しばらくは順調に作業していたのだが、はっと気付いた。屋根の真ん中に取り残されたのだ。よく笑い話であるようなことを実際にしてしまうとは。暑い夏の日差しの中、ペンキが乾くまで待った。

19世紀

幼少期の話ではないが、ここに記すことにしよう。あれは中学一年、一学期の最初だった。教室は崖が光を遮って昼でも暗かった。社会科の最初の授業。先生も生徒も初顔合わせ。なんとなく互いを探るような感じ。生徒はみんな黙っていた。先生が質問する。「今年19xx年は何世紀か」誰も答えない。沈黙に耐えきらず私は手を挙げた。「19世紀です」また教室が静かになる。「19世紀か」先生が続ける。「他の者は」誰も答えない。しばらくののち、コーイチ君が手を挙げて答えた。「20世紀です」あっそうか。20世紀だった。私は間違えていたのだが、そのあまりにも堂々とした間違えっぷりに誰も訂正しようとしなかったのだろう。痛々しい雰囲気の中、あえて発言したコーイチ君は勇気があると思った。それ以外の当時の社会科の授業の記憶は、ない。

ターザン

あれは小学生の頃だったか。日曜洋画劇場で「ターザン」観た後、「ア〜アア〜」とマネして部屋のカーテンにぶら下がったらカーテンレールを壊してしまった。あまりにも単純で恥ずかしかった。

暗唱

小学校三年か四年の時。教科書に載ってた吉四六さんの話をどれかひとつ選んで憶えて、翌日に暗唱するという宿題があった。このくらいなんでもないと、ぜんぜん練習もせずに翌日国語の時間。順に当てられた級友が立って暗唱していく。つっかえたりするけれどもみんな練習しているようだ。私の番。何も読んでいないので何も声に出すことができない。気まずい雰囲気のまま国語の時間が終わる。暗唱できなかったのは私だけだった。

捜索

小学生低学年の頃だったか。斜め向かいの家で遊んでいてそのまま座敷で寝てしまった。五時になっても家に帰らなかったため、近所総出で捜索されたそうだ。はなわの「佐賀県」で歌われている、近所のおばさんが玄関で寝ていたといった内容はフィクションではない。

無電源ラジオ

ゲルマニウムラジオはご存知でしょう。電源の要らない、電波のエネルギーだけでクリスタルイヤホンを振動させて音を聞くラジオ。そこで思いついた私は、ゲルマニウムラジオの出力を電源として別のラジオをスピーカーで鳴らしてみよう、と実際作ってみたのだがだめだった。よく考えてみればクリスタルイヤホンを振動させるのがやっとのエネルギーで大きなスピーカーが鳴らせるはずはないですね。

吹き矢

小学生低学年だったか。吹き矢のおもちゃで遊んでいた。矢の先が吸盤になっていて、平らな壁にぴたっとくっつく。くっついた吹き矢を取りに行こうとして、もう分かった方もいらっしゃるかもしれないが、吹き矢の筒をくわえたまま取りに行って、壁に当たってのどの奥をぐっと突かれた。特にケガはなかったみたいだが痛かった。もちろん癇癪をおこして吹き矢の筒を折って投げ捨てた。吹き矢に罪は無いのに…

ビニールの袋

おばかいとこだったか、親戚が亡くなり納骨の日。墓は家の裏、国道を渡ってすぐの所にある。父が骨壷を包むビニール袋を取ってこいと言った。ビニール袋…台所で見つけて持っていった。それを父に渡すと何か様子がおかしい。周囲の雰囲気もなんとなく変だ。私は市のマークが入ったゴミ回収用のビニール袋を持ってきたのだ。父は黙って自分で家に戻り、青地に白い水玉のビニールを持ってきて骨壷を包み、墓に納めた。
 これは当時はどういうことかわからなかったのだが、今思うと本当に恐ろしい。

竹とんぼ

小学生の時。お寺にみんな集まって竹とんぼを作った。小刀で竹をけずる。誰よりも早くできた。空に向かって飛ぶように両方の手のひらを合わせるようにして軸を回す。次の瞬間、顔に向かって竹とんぼが飛んできてケガをした。そう、小刀を使うときは右手でけずり、飛ばすときは左手を前に出したため顔に向かって飛んできたのだ。悔しくてその竹とんぼを折って壊したが、もちろん竹とんぼには罪はない。

たまご

「コロ助の科学質問箱」だったか、まんがで小学生に科学する心を伝えようとする本が学研から出ていたのだよ。その中に、たまごを落とすととがった方から落ちたものは割れず、横から落ちたものは割れるという話があり、これは眼鏡橋などの構造に使われているのだ、ということが書いてあった。小学生だった私は冷蔵庫からたまごを何個か持ち出して二階から縦向きと横向きにして落としてみた。結果は…全滅。あとでたいへん怒られてしまった。「なぜこんなことしたの」「たまごは落ちる場所によって割れないっていうから…」「コンクリートの上に落としたら割れるのは当たり前でしょ」そう。学研の科学まんがを改めて見てみると、実験につかったたまごは芝生の上に手提げカゴの位置から落とされていたのだった。

ベランダ

そのたまごを落とした二階のベランダは木製で、ちょうど自分の頭が入りそうな間隔で格子が並んでいた。そこでゆっくりと頭を入れてみると成功。しばらく庭など眺めていたのだが、抜こうとすると頭がひっかかってしまい抜けない。ああどうしよう、一生このままだろうかと思ったがベランダは木製。そこで大声で母を呼ぶ。「おかあさーん、のこぎりで切って」最低で二ヶ所、安全をみて四ヶ所切れば助かるはず(みんなも同じ状況になったつもりで考えてみよう)だが母は私を見て「入ったんならそのまま抜けるでしょ」そういやそうだ。落ち着いてゆっくりと頭を動かすと、抜けた。小学生にしては脱出方法まで思いついたのだから偉いなあと思っていたのだが、やはり間が抜けている。のちに古文で徒然草に出てくる鼎をかぶった仁和寺の坊さんの話を知った時はヒトゴトとは思えず、落ち着いてゆっくりやればケガせずに済んだろうに、と思った。

ポエム

これは小学生のときよりも中学、高校生のときになんとも思わずに仕込んだものが現在の私を赤面させるものだ。それは「詩」。国語の時間に作らされたものならそういいわけもできるが、自発的に書いた「詩」を帰省時に実家の部屋で見つけたときといったら。もう耳をふさいでその場にしゃがみこんでしまうくらいだ。なにをおおげさにと思われるかもしれないが、当時の物の考え方が現在の自分とほとんど変わっていないことがわかってしまうのだ。そういった意味では失敗ではなく単なる恥かもしれぬ。実家建て直しの時には誰の目にも触れずに焼却されんことを願う。


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